日本画家 岩橋英遠 創作の現場をアーカイヴ

河野 敏昭
滝川市美術自然史館学芸員

 自分が育った見慣れた風景が、美しい日本画になるとは想像することもできなかった。そう、初めて岩橋英遠作《道産子追憶之巻》を見たとき、私は衝撃が走った。この絵巻の世界のことがわかる気がする、というか、この農村の自然環境の中で自分は生まれ育ってきた。
 英遠は北海道の開拓農村の記憶を見事に描いた。その舞台が自分の育った土地の風景なのだ。描かれた山も川も畑も、子どもの時からよく見知った場所である。こんなことが本当に起きるのか、と驚いた。以来、この岩橋英遠という画家のことをもっと知りたいと思った。
 英遠について初めて本にまとめたのは『画家 岩橋英遠とふるさと』(2004、岩橋英遠とふるさと編集員会)である。英遠の生誕 100 年にあたる2003 年に「いまできる範囲のことをしよう」と郷土史家の卜部信臣氏と語ったのが、誕生のきっかけであった。何人かの有志と分担し執筆した自家出版本である。内容は「江部乙と岩橋英遠」「道産子追憶之巻に寄せて」「ふるさとの子どもたちとの交流」「英遠の生涯」「同人誌ほうが」からなっている。
 ふるさとと岩橋英遠を結びつけようとする目論見であった。特に江部乙中学校の生徒との手紙のやりとりの記録が大事だと思った。ただ卜部さんは、あとがきにこう記している。
 「前略~英遠は『絵は絵に語らせる』の姿勢を堅持していた。その中でこの小冊子は、どんな役割を果たすのか不安である。巨人・阪神の熱戦をテレビ観戦している時『あの解説が邪魔…』とはよく聞く話である。そんな存在にならなければよいがと思っている。~後略』
 当初は、この本で岩橋英遠の「風土と芸術」を解明できるといいなぁ、と思った。しかし、そうはいっても私では「風土」も「芸術」も、からきしわからない。英遠芸術の魅力をさぐるには、これからもっと英遠の画業に関する何らかの事実の積み上げ作業を重ねて行くしかないのだろう、と、このとき思った。
 一方、展覧会も企画した。
「文化勲章受章記念 岩橋英遠展」(1995)「ふたりの画家 岩橋英遠と一木万寿三展」(1998)「滝川 110 年 時空を超えて 岩橋英遠展」(2000)「生誕 110 年 虹を旅する 岩橋英遠展」(2013)「日本画家・岩橋英遠 松浦武四郎を描く展」(2016)「アトリエの英遠展」(2019)「生誕 120 年 虹の記憶 岩橋英遠展」(2023)などである(主催および会場はいずれも滝川市美術
自然史館)。
 展覧会を開催するということは登山と似ていると思う。作品の借用や経費の調達など展覧会の準備は、山登りの道程に似て誠につらいものがある。でも展示作業を終え、いざオープンすると、登頂したときと同じように喜びしか記憶に残らない。
 こうした展覧会活動を通して神奈川県相模原市の英遠アトリエに足繁く通うことができた。見上げるべき画家の創作の現場に立ち入ることができたのは大きな喜びであった。
 この制作の過程を解き明かす、創作の現場の資料をアーカイブできたらよいなと考えた。

 2022 年、アトリエにあるスケッチや習作、写真など、ほとんどの資料は滝川に移転させた。この移転した資料を基に、現在「日本画家・岩橋英遠アーカイブ」を構築中である。日本画家・岩橋英遠に関する〝デジタル版資料室〟を目指している。知的資源としての「岩橋英遠資料」が社会に有効に利活用されることを願い、いつでも、だれでも、どこでも、自由に閲覧、活用できることを目指している。我々の取り組みは、あまりにも些細だが、ゆくゆくはデジタル版〝岩橋英遠ミュージアム〟に進化すると嬉しい。
 アーカイブのコンセプトは画家の「風土と芸術」をさぐる、というものである。そして目指すものは地域のアイデンティティと矜持である。英遠は20 世紀そのものを生きた。この画家の生涯を知ることは 20 世紀の〈ある地域の記憶〉を知る一つのテキストになるのでは、と思えたからである。

滝川市美術自然史館の岩橋英遠《道産子追憶之巻》高精細複製画の前で解説する河野敏昭学芸員

《道産子追憶之巻》
1978 〜 82 年に制作された岩橋英遠の代表作のひとつ。縦 60.7cm、横 2908.8cmの絵巻のかたちで、ふるさと江部乙の四季を表現した。作品は北海道立近代美術館が収蔵しており、美術ファンの人気 No.1作品でもある。NPO 法人岩橋ふるさと北辰振興会は 2023年度、原寸大の高精細複製画を制作し、滝川市美術自然史館に寄贈した。

河野 敏昭 こうの・としあき
1955 年、空知郡江部乙町(現・滝川市)生まれ。立命館大卒、1979 年滝川市に勤務、教育部次長で退職する。現在、会計年度任用職員として滝川市美術自然史館に勤務。NPO 法人岩橋ふるさと北辰振興会理事。

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